ラムコーヒー

 

 会社の事務所にみんなが食べていいお菓子が置いてあるんだけど、自分だけ禁止されています。お局(59)に嫌われているから。最初はよかったはずなのに、なんかいつのまにか「あれは本来、肉体労働で疲れてる倉庫のスタッフさん向けに置いてるものだから」という謎の不文律ができていて、僕だけ従わないといけないらしい。完全に目をつけられている。癪に障るので、お局がトイレに立つたびに光速で食うようにしてる。メタルギアおやつタイムとしかいいようがない。2/14 に義理オブザ義理チョコ貰ったんだけど、こんな人にお返ししなきゃいけないのほんとつらいな。っていう話を坊主Bar(そういうとこがあるの)でしていたら、ホワイトデーに何をプレゼントすべきかその場にいた全員で考えてくれた。正解は出なくてお坊さんにもわからないことばかり。「風俗だけは檀家さんのお布施じゃ行けないです」とはにかんだ笑顔で打ち明けてくれたことだけ覚えている。

 

 寝起き、コーヒー飲みたいけどまずはイェーガーもみたいな意味のわからない気持ちになりやすいので、折衷案的にマイヤーズでラムコーヒー作る。夜中までやっててお酒も出してくれるカフェスタンドが近所にあって、そこで初めて飲んでおいしかったので家でも真似るようになった。あんまり迎え酒やりたくないんだけどもう素面じゃ限界になってきてて、平日を毎週毎度なんとかやり過ごせていることに土日へ辿り着くたび驚くばかり。ならば週末だけでも壊しましょうとばかりに美薗で知り合った常連さんと一緒にスイッチバー行ったらウエェなんですかここはみたいな気持ちになってしまい、グロッキー状態で這い出てきたのが午前2時半くらい。結局美薗に戻ることになって、二人でセブンのコーヒー飲みながらサムライチャンプルーって観るべきスかみたいな話してるときが一番楽しかった。その人は、とあるお店にいる本命の子が彼氏持ちで、どうにもならないから毎日飲み歩いてさまよってるらしい。美薗に来るような人って、欲しいものが決して手に入らない人が多い。気がする。



 そう、最近また絵を描いている。人物に焦点を絞ったような作風が増えたかな。もっとラフにザクザク描き殴るような感じでいきたいんだけど、変に根が几帳面なのか少しでも気になったらドール使って姿勢チェックしたりなんだかんだ資料確認してしまう。肉を斬らせて骨を断つような姿勢で臨みたい。



 人間といえば、僕は人に対して、見るべきところを見ずに気が利かないと言われたり、見なくていいところを見て不気味がられたりするので、現実での接し方や振る舞いはもう少し省みないといけない。人を観察することと、そこで得た情報から自分をその人に摺り合せていくのって全く別物だ。こういうことを毎日毎日考えて、自分はもう喋ればしゃべるだけ他人に害を与えるんじゃなかろうかという念に駆られてまた飲む。孤独な人間ってこうして出来上がるのかなと目を瞑る。そして夜がきて、自分が一人じゃない証明を探しにどこかへ飲みに行く。先の内省もどこ吹く風の狂騒が夜中まで続いて、コーヒー片手にぽつぽつ歩いて帰る。ひとしきり飲んだ後のコーヒーってすごく美味しくて、今の生活で確かなものってこれだけかもねって考える。なんとなく塩ラーメン食べたい気がしてコンビニでサッポロ一番買うけど結局帰ってきても食べずに寝る。


 

2018.03.10 | | コメント(0) | 日記

個性



個性を大切にしましょう、という世の中になって随分久しいけど、その捉えられ方はどんどん変わっている。


昔から今も共通しているのは、社会という壁に人型の枠が絶対的に固定されていて、そこへ如何に自分自身を当てはめるかということ。昔はそれがまず " 当たり前 " でそれはもう疑念の余地もそもそもの発想もないほどで、枠に自分が合わない人がいたならば、ではどうやって嵌め込んでいくか。枠に合わせるのが前提だけど人それぞれに仕方なく合わない形が生じる、それを昔は個性と呼んだ。

ところが少しずつ、その意味が履き違えられるようになってくる。" 個人差 " をいかに受け入れて社会の枠を潜り抜けるか、という話だったのに「ありのままの自分こそが大切なのだ」と勘違いする子供が出てくる。それがどれだけ本末転倒で誤った認識かは言うまでもないが、大人になってもまだ分からない人もいて、僕はその中でもとりわけ気づくのが遅かった。ようやく壁にたどり着いたときには、その枠を潜るにはあまりにも己の形は不完全で異形で、しかも修正するには困難なほどに凝り固まっていて途方に暮れた。

今日、昼食にラーメン屋に入って券売機にお札を投入しようとしたら全く入らず、10秒ほど格闘したのち払い出し口に突っ込もうとしていたことに気がついた。こういうのは24時間四六時中起こっていることで、僕のオフィスでの働きぶりはここに書くまでもないだろう。「マイペースもいいけど、別に休日出勤してもいいんだよ」と先輩から釘刺された時、学生の頃に少し片思いしていた遅刻しがちな女の子が「私が遅いんじゃないねん、時間が私を置いていくねん」と口癖にしていたのを思い出した。



土曜日は朝から堀江の公園に行って、ボーっとコーヒーをすすろうと決めていた。自転車でアメ村を通り、セブンイレブンのホットとマカデミアナッツのホワイトチョコを買っていった。一瞬コアラのマーチに手が伸びそうになったけど、ためらって先述のチョコに切り替えた。大人が公園でコアラのマーチを食べていたらおかしいですから。ちびっ子達に格の違いを見せつけてやろうと思っていたのに、いざ到着すると、その子達は僕と同い年くらいのお父さんとキャッチボールに勤しんでいた。0勝1敗。

敗北のマカデミアナッツをコーヒーで流し込みながら考え事をする。自己だけで完結する快楽を純粋に享受できるのは25歳くらいまでで、あとはもう子を儲けるしかないのではないか? 目の前でボールとじゃれているこの子達を。全てが無味乾燥としていて、何をしても、良いのだけれども、旨いのだけれども、と「だけれども」がついて回る。刺激には慣れているくせに、悲しいことや嫌なことしっかり体に染み入ってくる。それでも生きる原動力を生み出してくれるのはもはやこの年齢において我が子の笑顔だけなんだろう。だからみんな、家庭を持って子を授かるのだなと思った。以前は公園のベンチでじっとして過ごすなんて狂人がやることだと決め付けていたけど、日々を忙殺されている人にとっては「ただ何もしない」ことはとても大事な行為だとも理解した。

しばらく南堀江を歩いて、既視感を覚える光景にあたった。もうひとつの公園が見えてきてその中央に小高い丘のような遊具があったのだけど、昔付き合っていた女の子とここを通りがかったことがあって、その時の僕はふざけてこの丘を駆け上がったのだった。わざと彼女を困惑させたくて、頂上でしたり顔をして反応をうかがうと、含み笑いをしながら僕を無視して一人歩いていたのを覚えている。その恋は今から丁度一年ほど前に終わってしまい、しばらくは地獄の日々が続いた。当時はもう二度と戻りたくないと断言できるほどに辛い思いをしたが、今となったら彼女を惜しみ続ける日常すら懐かしい。何かを忘却するには他の悩みで頭を埋め尽くすのが頓服薬であり、僕の場合それはこの繁忙期の狂騒であるわけだけど、忘れるというより一つの時期が持つ力の死滅といったほうが自分の中でしっくりときた。

何度か買い物をして、改めて財布がハチャメチャな惨状にあることを思い知らされた。ここ8年くらい、マルタン・マルジェラの財布を愛用していたのだけれどももう小銭入れがボロ雑巾のようにビリビリ破れて、硬貨が財布の裏側まで入り込んでしまっている。セロハンでの補強もすぐダメになって、余計みずぼらしさに拍車をかけるだけの舞台装置のようになっていた。何を思ったか無印で財布を買おうとした(今の自分は " 無 " がお似合い)のだけど変哲も仕掛けもない二つ折りが\12,800するのを見て、あ、無印って高かったんだなと思い出した。あらゆるものが飽和している現代において " 無 " はお高くつく代物なんだろうか。そういやさっき僕は公園で何もせずにボーっとしていたけど、これも見方によれば貴重な休日の時間の数十分を消費している。気軽にプレーン味を選ぶことすら許されない時代に突入しているのだ。僕たちは透明以外の色でカスタマイズした迷彩服を身につけて、どこかの戦場で生き抜くことを強いられている。

僕はよく、この街中に住んでいることを冗談めかして鼻にかけることがある。シティボーイなんていうと阿呆らしくも聞こえはいいが、つまりは社会という巨躯の間で磨り潰されているだけだ。引っ越した当初から覚悟はしていたのだが、街は思いのほか狭くて次第に都会と名の付く箱庭の中に閉じ込められている感覚が早くも忍び寄ってきた。今の仕事も、北は滋賀県、西は姫路まで車を駆り出さなくてはいけないのでスケールそのものは以前の生活とは比較にならないほど広くなった。はずなのに、どんな遠いところへ、100km以上走っても走っても、自身が見えない柵の中に幽閉されているように思えてならない。自分がクリエイティブだと言う気はないが、なまじ空想癖や想像力がある者にとって、己の脳内より広大な領域はこの世にはない。手にする物はどれもが、こんなものか、でしかない。

仕事で己を磨耗させて社会に擦り合わせ続けていると、自分自身を見失ってしまう。この頃は特に酷く、僕という人間は最初からいなかったのではなかろうか、自我なんてハナから持ち合わせてなかったんじゃないかと最低限のエゴすらも迷子になってしまう。だったら今、Ed Sheeranの新曲をいたく気に入って何十回も聴いている、その行為を選択して、食後にカクテルのゴッドファーザーを飲むことを好き好んでしている人間は何者だという話になってきて、それを考えると涙が出そうになる。どれだけこの体と脳を使い尽くしたと思っても、感覚だけは生まれた時から歩んできた轍の延長線上からは決して外れることはない。



そういや最近、急激に目が悪くなった。車に乗っていても、赤信号で緑色に光る右折や直進のマークをかなり近づかないと判別できなくなっている。人間は肉体の五感が世間から離れていく代わりに心の目が世の中のヴェールを見透かせるようになっていく。そして老境に達し、この世の真実にたどり着いたときに肉体が必要なくなって死を迎えるのだと、そんなくだらない仮説を立てているのだけど、その理屈でいくと僕は本当のことを知るためにもう少し生きなければならない。




2017.02.25 | | コメント(0) | 日記



忙殺される日々が続いていた。
陽が昇る前に目覚ましが鳴り、身支度に駆り出される。
外は真っ暗、部屋もまた然りなのでスタンドライトを点けると、昨日の
眠る前と同じような薄暗さが広がる。毎日が仕事と
仕事の延長線上に続いているのを思い知らされる。

わずかな隙間に生じる空白の時間でのみ、その忙しなさから
開放されるのだけど、個人に戻れる余裕がそこにあるわけではない。
公が良しとする価値観に身を深く投じてしまったがため、
スーツを脱いでから床に就くまでに這い上がるのが間に合わない。
摩擦より慣性のほうが強く、僕本来の感覚の領域にまで
会社の車がせり出してくる。風呂から上がり机に向かって、
そういや自分は普段、何を考えていたっけなと考える。
午後22:30頃。

瓶詰めの液体があったとして、個性というのは
それらがワンセットになったものと思っていた。
人間の、自分を頑なに守ろうとする殻が瓶を形作っているに
すぎないと気づいてからは、液体のほうにスポットが向いた。
子供の無垢な精神を社会の海に流して、もう一度海水を
瓶にすくったならば、その液体は大人であるかもしれないが
個人と呼べるだろうか。呼べるだろうか、と考えているうちに
瓶そのものが人間が生み出した幻想でしかないのを思い出して、
あるのはただ莫大な海、ひとりの力ではどうしようもない
自然であることを悟った。賢い人は全部を社会へ明け渡さずに
こっそりと瓶に残しておくんだろう。僕はほとんどを
海へこぼした上に、肝心の瓶をどこかにやってしまった。


それでも、時々「あの作品が観たい」とか、
「次はこんな個展を開きたい」という気持ちが沸き起こるのは
知らないどこかで自分が元気にやっている証拠なんだと思う。
願わくば、もう少し器用に生きたい。

2016.12.29 | | コメント(0) | 日記

12月24日



布団が横向きになっていて目が覚めた。
こんな状態だから毎朝寒く、風邪をひきながら
起きるので喉が痛い。前からずっと痛い。

Go Go Penguinを聴きながら朝食を摂る。
コーヒーの残り(タバコの灰みたいな味だ)と
チーズトーストにする。休日で時間があったので
オムレツも乗っけた。僕が乳製品をよく口にするのは
単純な嗜好もあるけど主にセロトニン対策で、
気持ちをおしまいの方向へ近づけたくないから。
キラキラになりやすい食べ物をなるべく摂取するようにしている。
あとバナナも良いらしい。冬は日光が少ない。

ホームページを更新するために何枚かイラストを
描き下ろしていて、午前中はそのペン入れに手を付けていた。
3枚目に取り掛かったくらいでお腹が空いてしょうがなく
なったので本能に従う。

天神橋筋に向かう。家から歩いて行ける距離。
というか、こういうところに歩いていきたくて
住むところを選んだ。何事も自分の足で歩いて行けるのがいい。

「山の底」というカレー屋に行く。
柚子と大根のキーマカレーが美味しい店だ。おいしいのだけど
ちょっと甘すぎるので今日はビーフカレーを頼んでみたら辛すぎた。
ごはんとルーのバランスもしっちゃかめっちゃかになるくらい
辛くてまいった。僕は辛いものが好きだけど、それは口が好きという
だけの話でお腹はスパイスにすごく弱いのでいつも胃薬と牛乳を
飲んでから食べる。食べながら、あー、これは明日お腹を壊すやつだなと
わかったが頼んだものはしょうがないし何より美味しいので
黙々とスプーンが動く。余談だがこの店はmoonというPSのゲームに
出てきた「ヤマネコ軒」という店屋になんとなく似ている。
狭くて猫目の主人が一人で切り盛りしていて、自分の気分で
仕事をしていそうなそんなマイペースな印象。お酒も置いてるので
夜に行くのも悪くなさげだ。

そのまま商店街をぶらつき、駄楽屋書房に寄る。
カルチャーの匂いがする本がざっくばらんに山積みにされていて
いい加減で親近感を覚えること、この上ない。アート本の
コーナーがあったのでぼーっと眺めていた。改めて感じたことだが
やはり自分は芸術というものにさして関心がない。
絵を描くのでそういった区分の人間としてカテゴライズされがち
なんだけど、僕自身はモネとかゴーギャンを他人事のように見ている。
どちらかというと奇抜でポップなイラストが好きなのかな、
音楽が好きといってもクラシックに興味があるとは限らないのと
似てるかな。でもワーグナーとドビュッシーには好きな曲があるし、
そういえばエゴン・シーレはお気に入りだった。

帰りに駒鳥姉妹店に寄った。
存在は知りつつも行ったことはなかった店で、どうやらコーヒーも
出してくれる本屋のようだが本日は搬入でバタバタしている模様で
カフェ機能は失われていた。棚に目をやるとお堅めな映画評論の書籍が
ずらっと並んでおり、自分は何も考えずに映画をみる手合いなので
これはどうもなぁと思いながら店を後にした。

件のカレーのおかげで早くも喉が渇き、インテリアブックワームカフェに
向かう。これは徒歩ではさすがに遠いなと感じたけど、この辺は
どの通りを歩いても新しい店を発見できるので退屈はしない。
ほうぼうの体でたどり着いたら17日から店内改装のための
長期休暇に入っているらしく、またもやコーヒーにありつけなかった。
人生にこういうことが多い。仕方なく帰りに近所のカフェバー的な
店に寄った。ホットを頼んだらミニマムなチョコケーキが出てきた。

帰宅後、イラストの続きをやる。
20:00時を過ぎてから近所のスーパーにチキンの半額を見に行く。
普段は半額になっているものがビタ一文値引きされておらず
その場でフテ寝しそうになった。何しにきたかわからんくなったので
酒を買う。

カクテルのゴットファーザーが好きで、バーに行ったらほぼ必ず注文する。
ので自分でも作ろうと思ったがバランタインはあるものの
ディサローノアマレットが調達できなかったので杏露酒で代用する。
めちゃくちゃマズい。どうやら酸味があるのがいけなかったみたいで
完全に失敗だった。失敗しない日がない。あるとしたらそれはそもそも
何も起こらなかった日だ。

22:00を過ぎてブログを書き始める。
ただ単に、一日を羅列するだけで、ある出来事のピックアップでもなく
起承転結もない。僕の数ある日々の中でも休日の、その中の一日を
切り取ったに過ぎない。おそらくこの後、もう少し絵の続きを
やってから日付が変わる頃には床に就くと思う。
その前にまた灰のようなコーヒーを飲むかもしれない。



2016.12.24 | | コメント(0) | 日記

合同展『影を踏む』のお知らせ

皆さん、お元気ですか?
ミーフーは元気です。


いや恋愛ポエム書いてんと告知せんか~い
ということで告知です。

11月7日より銀座の画廊「Y's ARTS」様にて
開催される合同展に、ミーフーも参加いたします。

『影を踏む』がテーマの展示です。
それらしい感じの絵を三枚ほど描き下ろして飾らせてもらいます。
本邦初公開の未公開のやつなので来てきて来てくださいね。
僕は11/12(土)14:00~ラストまで在廊します。
ぜひお話してくださ~~い。


影を踏む裏面ブログ用

影を踏む表面ブログ用

影を踏むポスターブログ用



※一応、お買い求めコーナーがあってマグカップとポストカード買えるのですが
本来、物販は予定してなかったのに勘違いして勝手にグッズ搬入してしまって
主催の方にハチャメチャなご迷惑をおかけしてしまいました。
臓器提供するので許してください。


おしまい。





2016.11.05 | | コメント(0) | 日記

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